はじめに
皆さんこんにちは、またまた登場の中学3年生のR.K.です。
さて突然ですが、皆さんは音楽、美術、書道といった芸術について興味を持っていますでしょうか?もしかしたら「芸術を学んでも意味がない」「芸術は役に立たない」と考えている方もいらっしゃると思いますが、僕は、そう考えるのは甘いと思っています。
皆さんは芸術というと何を思い浮かべるでしょうか?例えば昔の芸術家の絵画とか、有名音楽家の音楽などといったものを鑑賞したり、絵や彫刻を作らされたり、音楽を演奏したりすることを思い浮かべる人もいらっしゃると思います。しかし芸術とはそんなに幅の狭いものではありません。古い芸術を見ながら新しい芸術を切り拓いていく、それが芸術だと僕は考えます。具体的なことについてはこの章以降で説明しますが、学校で習うような国語、数学、社会、理科などの教科同様、芸術もまたこの世界には欠かせません。
物理部でもプログラミングや電子工作にとどまらず、3DCG制作や映像編集、作曲といったこともしている部員もいたり、そうでなくてもそれらを趣味にしている部員もたくさんいます。僕がこの記事を書こうと思った理由は、芸術に未知の可能性を秘めている(?)物理部の部員である僕から芸術の存在意義をまだ見いだされていない方に芸術の重要性を伝えたいと思った他、僕自身に対しても「この記事を書いて改めて芸術と向き合ってみよう」と思ったからです。
もちろん僕は芸術関係の活動がまだまだ他の人に比べては浅いため、芸術の本質からはかけ離れている事があるかもしれませんし、これはあくまで僕の考えなので、他の人が思っていることとは異なるかもしれません。あくまで1人の人間の考えと思ってください。また、物理部の活動内容とはズレている事があるかもしれませんがご了承ください。僕の拙い日本語もご愛嬌ということで。
物理部員の方々を含め、ごゆっくりお読みください。
なぜわたしたちは芸術を学ぶのか
そもそも私達はなぜ学校の授業として芸術を学ぶのでしょうか。僕が勝手に考えたことを説明します。
もちろん、芸術を学ぶのは学校側が芸術を使って金を稼ぐことを促しているからである、ということはありません。
まず理由の1つとして、「芸術とはなにか」を学ぶためということがあります。もちろん人間は生まれてから何かしらの方法で教えられるまでは「芸術」の概念はわかりません。しかも、「芸術とはなにか」というものが芸術についての知識が何もない状態で端的に言葉で伝えられても分かる人は少ないでしょう。鑑賞・実践などを繰り返すことでようやく「芸術とはなにか」がわかるようになります。
2つ目は、芸術的なセンスを発揮するためです。人間は生まれながらにして芸術的センスを持っているのですが、唯持っているだけでは発揮することはできません。芸術を鑑賞したり実践したりして芸術的センスを磨き、発揮できるようにするということです。
3つ目には、芸術作品を芸術作品として捉える能力を育むためということもあります。もし学校で芸術について学んでいなければ芸術作品をただの絵、ただの物質の塊、ただの音としか捉えることができません。しかし授業などによってただの絵、ただの物質の塊、ただの音にも芸術性を見出すことができるようになります。先程述べた「芸術的なセンスの発揮」にもつながっていきます。
芸術とはなにか
さて、「芸術とは何か」ということを説明しようかなと思います。
世の中には色々な芸術作品がありますが、皆さんはどのようなものを芸術作品と考えていますか?ある人は芸術作品と考えているものであっても、別の人は芸術作品と考えていないかもしれません。このように、世の中に存在するモノの中で芸術作品とみなすかみなさないかは個人次第です。
また、芸術作品というとどのようなイメージがあるでしょうか?あまり日常においては使われない、または身近ではないと考える人も多いと思います。しかし芸術作品の判断基準が曖昧であることから考えれば、役に立つようなものだって芸術作品とカウントされるかもしれないのです。
したがって、僕は芸術とは世の中に存在するモノすべてと考えます。
その芸術の中にも「役に立つ芸術」と「役に立たない芸術」の2つに分かれています。
世の中に存在するモノすべてというのは、音楽などといった形のないものも含まれています。また、役に立つ芸術であるかそうでないかというのは一般的な分類が存在しているわけではなく、個人によって分かれます。ある人が、これは役に立つと考えているものでも他の人にとっては役に立たないと考えることもよくあるからです。
俗に「芸術」と言われている音楽、美術、書道などは「役に立たない芸術」です。しかし「役に立たない」ことと「存在してもしなくても良い」ということは混同してはいけません。ただ私達が日常生活を送るうえでで役に立たないというだけです。詳しくは第5章で説明します。
芸術の重要性
いよいよ本題の、芸術の重要性についてです。
まず、この世の中には「芸術作品」と呼ぶことができるものは無限にあり、世の中に存在するすべてのモノから学ぶことができることがあるのです。
芸術は「世の中に存在するモノすべて」である以上、何かしらモノを作る時には常に、今まで取り入れてきた芸術の知識が必要となります。ということは、今まで取り入れてきた芸術の知識と勘すべてが新たな芸術作品の制作に役に立ちます。
世の中に存在する芸術作品にも独創的なものが多くあります。その独創的なものは、何も芸術の知識や勘がない状態から生まれると思われがちですが、何も知識がない状態では芸術作品を生み出すことさえもできません。独創的な芸術作品は数多ある芸術作品を知ることで、そこから生み出されるのです。
つまり何が言いたいかというと、「芸術」、つまり色々なものを吸収することで日常においてものを独創的な観点から見ることができるようになり、また独創的なものを作り出すことができるようになるのです。その独創性は、芸術の情報を吸収すれば吸収するだけ大きくなります。
もちろん、役に立たない芸術も含みます。
役に立たない芸術の重要性
では、俗に言う「芸術」、つまりは役に立たない芸術の重要性についても説明していきます。
先程述べたとおり、役に立たない芸術はあくまで日常生活において直接的に役に立たないだけであり、これらの存在も世の中において欠かせません。
役に立たない芸術も役に立つ芸術同様、ものを独創的な観点から見るのに役に立ちます。しかし、役に立たない芸術の重要性はそれだけではありません。
まず、役に立つ芸術は役に立つが故に、そこから感動するということはあまりないでしょう。なぜなら役に立つ芸術の作品が作られるうえで、芸術的な意図はないからです。
皆さんは絵画を見たり音楽を聞いたりして、心を動かされたことはありますか?役に立たない芸術は、人の心を動かすためにあるのです。
むしろこちらの重要性のほうが納得することができるでしょうか。
もちろん役に立つ芸術も同じくらい人の心を動かしているのですが、それに気づくことはできません。役に立たない芸術は人の心を直接的に動かしています。
しかし、それは役に立たない芸術としての存在意義であって、日常において役に立たない芸術に存在意義があるということにはまだ繋がりません。役に立たない芸術が、役に立つ芸術との間の垣根を超える瞬間が何処かにあるはずです。
僕は先程「役に立つ芸術から直接的に心を動かされる事は少ない」と言いましたが、「見えないところで心が動かされている」、つまり心が動かされていないように思われていても、実は心の底ではその役に立つ芸術の作品に夢中になっているということはありえます。そのようなことは、あるものが役に立たない芸術の要素を取り入れているか次第でありえるかもしれません。
以上より、僕はこう考えます。
役に立たない芸術を通して人の心を直接的に動かすことを学び、その知見を利用して、役に立つ芸術作品をつくる上で、役に立たない芸術から得た独創性を活かすことができるというだけでなく、人の心を見えないところで動かすという点においても役立てることができるということです。
これが本当の、役に立たない芸術が役に立つ芸術との垣根を超える瞬間です。
物理部と芸術
さて、ここまで全く物理部に関係ないことを書いてきたのですが、これはこの部活である物理部の部誌であり、少しは物理部のことについても書こうと思います。物理部と芸術はどのような関係性について説明します。「そもそも物理部とはなにか」という根本的なところまで説明してしまうかもしれませんね。
物理部はプログラミングや電子工作をしている部活であり、一見芸術に関係ない部活であると思われると思いますが、物理部、いや、部活というものすべて芸術団体であると僕は考えます。 この物理部の場合、「ブログラム」「機械」という名の「芸術作品」を創り上げています。
その「プログラム」「機械」にも種類は部員が作ってきた数だけあり、同じものはありません。
特に物理部は「モノ」を作る部活であり、つまりははっきりとした「芸術作品」を作る部活であるということです。
物理部員は、先輩が作った芸術作品の仕組みを知り、それに似たものを作ろうとしているがその過程で道がずれ、結果的にオリジナリティのある芸術作品を作ることができるようになると思います。
その中にも「役に立つ芸術」作品、「役に立たない芸術」作品を作っている部員がそれぞれいて、その役に立つか立たないかの垣根を超えてものづくりに励んでいます。
「はじめに」で、「3DCG制作や映像編集、作曲といったこともしている部員がいる」と言及したように、それはつまりたとえ特定のことであっても、芸術の面白さと可能性を見出し、役に立たない芸術に足を踏み入れる部員も増えてきています。
だからこそ、ものづくりの楽しさを知っている部員がいる物理部は、芸術団体の頂点を名乗るのにふさわしいと言えるのではないでしょうか。
芸術を学ぶにあたって
さて、芸術を学ぶにあたって、私達は何を意識すればいいのかを考えてみます。この章で説明する芸術は、主に役に立たない芸術を示しています。
そもそも、芸術を教わるがまま学ぶというのも1つの芸術の学習で、それだけでも十分な芸術の知識を得ることができるとはいえ、それだけでは勿体ありません。与えられた少ないものから、その更に上を学ぶこともできるはずです。
例えばこのようなことができるでしょう。
芸術の情報が1つ与えられたら、自分が得た役に立つ芸術または役に立たない芸術の情報を1つ引っ張り出します。次に、与えられた芸術の情報をその情報と対比します。そこから共通点を見つけ出します。共通点があろうとなかろうと、それを数回繰り返します。
もちろんそこから見つけ出したことを何かしらの紙に書き記すなどする必要はありませんし、頭に留めておくくらいで十分だと思います。
このようなことをすることで、得た芸術の情報を独立させず、すべての情報を互いにつなげる事ができ、芸術をひとかたまりにすることができます。そうすることで、第5章や第6章で書いたようなことをすることが容易になるのです。
もちろん今挙げた方法は一例で、情報をひとかたまりにする方法は他にもたくさんあります。その方法を考えるところから始め、芸術を学ぶときに活かしてみるのも良いかもしれません。
結局何が言いたいのか
ここまで長ったらしい文章を書いてきたのですが、結局僕が言いたいのはこれだけです。
- 芸術とは、世の中に存在するモノすべてである
- 芸術には役に立つ芸術、役に立たない芸術がある
- 芸術を学ぶことで日常においてものを独創的な視点から見ることができる
- 役に立たない芸術は人の心を動かすことに繋がる
- 物理部は芸術団体の頂点を名乗るのにふさわしいのではないか
- 芸術をただ学ぶだけでは勿体ない
という僕の芸術に関しての独断と偏見でした。改めて言いますが、これは一般的な考えではなく1人の人間の考えです。もちろん反対意見もあるだろうし、この人何を言っているんだと思う方もいらっしゃると思います。あくまで参考程度にしていただければ幸いです。
おわりに
という感じでこの記事を書かせていただきましたがいかがでしたでしょうか。
この記事を書いて見て、感想や反省や後悔、驚きなど色々あります。
まずこの記事を書いている僕が一番勉強になりました。物理部の部誌の執筆という名の、芸術と向き合う機会を作れたのはとてもいい経験になったなと思いました。また、中3で文章力もない僕がこのような部誌を(しかも2記事も)書いてしまったのは自分でも驚いています。
文化祭が始まるまで後何週間かのときにもう1記事書くなどといって、(他の部活も兼部しているため)ただでさえ忙しい文化祭の準備の労働量が何倍にもなるとわかっていながら、結局は締め切りギリギリまでかかってしまい、編集の先輩方にも迷惑をかけてしまったことを反省していますし、後悔もしています。そんな中でも学校の宿題を遅れなし未提出なしでなんとかやることができたのが一番の自慢でしょう。
僕の、部誌を2記事も書くという奇行を成し遂げることができたのも、部誌の執筆をサポートしてくださった先輩方のおかげです。改めて先輩方に感謝しています。
最後に、僕の拙い文章でも最後までこの記事を読んでくださっている読者の皆様にも感謝を申し上げます。ぜひ他の記事もお楽しみください。
読んでくださりありがとうございました!