はじめに
こんにちは。物理部ポジトロンを手に取っていただきありがとうございます。展示は楽しめていただけましたか。今年の文化祭は、限定的ではありますが、浅野生とその家族、以外の来場者もいらっしゃるということと、自分がこの部活に携わる最後の文化祭になるということが重なり、僕としても、「文化祭」に対する意欲というのが生まれたので、部誌という形でも関わらせていただくこととなりました。技術的に興味深いことは他の部員がたくさん書いてくれているはずなので、僕はあえてそういった専門的、ではないことについて書きたいと思います。
僕は中1から物理部に入っておりますが、気が付いてみたらもう高2。これといった大会やら、コンテストやらに全力で取り組んだり、さらなる技術的な高みを目指して毎日努力奮闘する、といったことはなく、作りたいものが見つかったら、活動日にノートパソコンを持っていって地下一階の物理教室でのほほんと作業する、といった感じで、良い意味で緊張感のない活動をしてきました。ですが、決して社交的とは言えない僕でも、それなりには部活のことに参加したり、わずかな貢献もできたのかなぁ、と思うばかりです(できてなかったら悲しいですねw)。
小さくてゆるいコミュニティを形成しながら、しばしば友人や先輩後輩とのおしゃべりを交えつつ作業に打ち込める環境はとても快適な場所でございました。そういった居心地の良い場所だったからこそ、あっという間だったのかもしれませんね。しかしまあ、時間がたつのは速くても、ここで出会ったものはとてつもなく大きいものです。ここでは、そんなこんなを少しばかり話したいと思います。
理想
自作ゲームのあるべき姿
今年の物理部は、電子工作班とPC班で同じ教室を使って展示するというスタイルをとっており、例年の文化祭のような電工とPCを分けた展示とはひと味違った雰囲気が出ていることでしょう。そのなかで今年もPC班員たちが作ったゲームが変わらず人気なのでしょうか。
僕は今年、ゲームを自作しようとは全く思いませんでした。中3の文化祭以来、僕はゲームを自作するのを断念したからです。というのも、中2から中3にかけて、僕は寿司打(※フリーのタイピングゲーム)みたいなゲームを作りたいということで、タイピングゲームを自作したのですが、夏休みの中盤くらいになってから、タイピングゲームは子ども受けがよくないゲームだろうから、子どもたちが遊べるようなゲームをひとつ作るよう言われ、僕はとても困惑したことがあるのです。結局、それから文化祭までの短い時間になんとかもう1つのゲームを間に合わせたのですが、それ以来、遊んでもらうために、「文化祭」のためにゲームを自作する、ということに対していろいろ考え、疑問を抱き始めました。というのもどうも僕は「文化祭」のために、子どもたちに人気ではあるけれど、自分では作りたいとも思わないゲームを作らされるのを苦痛に感じ、どうしてもそれを強制されることに耐えられなかったようです。
中1中2がプログラミングに慣れる練習として、とりあえずゲームを自作するという考えに関しては、まだ的を射ていると思います。僕も今振り返ってみると、実際にある程度の量のコードを書いて一つのゲームを完成させたあとには、なんとなくプログラムの全体を見渡す能力が少しついたのかなぁ、と思わなくもないです。しかし、中3、高1、高2にまでなって作りたくもないゲームを作らされる、作らなければいけないような雰囲気になるのはもったいない気がするんですよね。パソコンでできる技術的な物と言えば自作ゲームのプログラムだけでなく、様々な種類があるにもかかわらず。例えば、何か特定のことをしてくれるプログラムの制作や、人工知能の開発、広く言えば動画編集や競技プログラミングなども含まれているでしょう。ひとそれぞれ興味のあることはもちろん違うでしょうし、彼らの興味に割かれるべき時間が、「文化祭」のためのゲーム制作によって搾取されていくなんてことがあっていいのだろうかと、疑わざるを得ません。「そもそもゲームを作るのが好きだ」という人にとっては何ともないでしょうが、それ以外の人にとっては厄介極まりないことでしょう。その時以降、「文化祭」のために強制的にゲームを自作させられるというようなことがなかったので良かったのですが、今後とも、このような犠牲者が出ないように気を付けていただきたいものですね。
文句ばっかり書き連ねていたら読み心地もよろしくないと思いますし、決して改善に向かわないので、とりあえずほどほどにしておきますね。
フーリエ級数展開によるお絵描き
僕が今年作ったのは、もちろん子どもたちに遊ばせることのできるようなゲームではなく、ただ、時間についての関数を実フーリエ級数展開して三角関数(角度についての関数)の式に変換した後に、円を回転させて図形を描くというプログラムです。
フーリエ級数展開を使って図形を描画するという試みは、世界中でたくさんの人が行ってきているので、インターネットで調べていただければ概要はわかると思います。僕は、おととしに、当時高校2年生だった先輩が作ったプログラムをみせてもらってこれを初めて知りました。円をくるくるまわしながら描いていくのこぎり波だったり矩形波を、「なんだかよくわからないけどすごいな」という感じで見ていました。その光景はとても複雑に見えましたが、実際は、大きさの異なる円を回すことで図形を描くという、意外と単純(?)な方法でありました。その後先輩からサインやらコサインやら(←全然わからなくてほとんど覚えていない…)説明を賜りましたが、中3だった僕は残念ながら理解するには到底及びませんでした。
しかしながら、そこで見たものが頭の中に焼き付いていたのか、高校二年生になって数学B(文系)の授業で三角関数を復習したときに、そういえば2年前にフーリエなんちゃらしてた先輩いたなぁ、となり、高校二年生になった僕ならできるかもしれないと思いながら、制作に取り掛かりました。覚えていたことは、その先輩がフーリエうんぬんでおえかきをしていたということぐらいだったので、そもそもの数式やそれらの導き方をネットで調べるところから始めなければなりませんでしたが、周りの人からの協力を受けて、楽しみながら完成させることができました。これはsvg形式の画像ファイルを読み込ませると、その画像を一筆書きしてくれるので、完成した後は、直ちに好きな画像を突っ込み、喜びにふけっていました。
こういう風に、僕の「作りたい!」という単なる欲求を満たすために作ったものを「作品」として展示しているだけに過ぎないのですが、そうはいってもやはり、僕にそのように、作りたいという「情熱」を思い起こさせるだけの魅力が存在するわけで、その情熱を少しでも感じ取っていただきたいという所存でございます。2年も前に見たのが記憶の片隅に残っていたというのは、僕がその妙な動きに多少なりとも惹かれていたからでしょう。好奇心とはすこし違うようなこの妙な心の揺れ動き、皆さんは感じたことはないでしょうか。
大きな「情熱」との出会い
中学1年生の時に物理教室で、僕は、今でも自分に絶えることなく「情熱」を与え続けるモノと偶然にも出会いました。そしてそのモノというのがなんと、ソビエト社会主義共和国連邦国歌なのです。皆さんがこの告白についてどう思おうとも、構いません。しかし、僕のソ連国歌に対する「情熱」は疑いようのない事実です。僕は非常に困ったことに、いわゆるJ-POPでも洋楽でもなく、ソ連国歌を好きになってしまったのです(最近はみんなが聴くようなものも少しは聴くようになりましたが)。僕はこの歌を初めて聴いたとき、もちろん流れてくる歌詞の意味は全く知りませんでしたが、「感銘」という言葉で表しきれないようなナニカが僕を満たしていくような、そんな不思議な衝動を感じました。
それからというもの僕は、ソ連国歌の歌詞についていろいろ調べたり、ソ連に関連した情報を集めたりするにつれて、近現代の歴史的な流れや思想や知識を得ていったりと、ソ連の国歌が原動力になって、いろいろな物に首を突っ込んでいくことになりました。そしてソ連国歌とソ連の関係を知れば知るほど、賛成できない点も複数ある中、ソ連に対する魅力はそれらをはるかに上回っていきました。今持っている音楽に対する興味も、この国歌がなければ持たなかったかもしれません。どうして僕がこんなにソ連に魅了されているのか、その謎は僕でさえもいまだ探求中、整理中でありますが、なんとかしてソビエト連邦を僕の生活におけるコンテクストに位置づけ、ある程度言語化したいという個人的な思いで、「情熱」の一例として紹介させていただきます。
さて、当初僕はというと、ソビエト連邦に一種の理想像、理想の共同体像を重ね掛けていたことがあり、今となっては少々過激だったかなぁと思い返すのですが、このことがなければそんなにソ連のことを好きになっていなかったと思われます。ソビエト連邦は、すごくざっくりいうと、指導者層の荒廃、政治的、外交的な欠陥などにより、1991年12月25日の真夜中にとうとうソ連の最初で最後の大統領ゴルバチョフが自身の大統領辞任を表明し、解体するという形で、第一次世界大戦期のロシア革命やそれに続く内戦を経て1922年に高い理想を掲げて成立したその国は、その69年にもわたる激動の歴史に終止符を打ちました。僕は当時生まれておりませんが、とても衝撃的なことだっただろうことは容易に想像できます。
ここで僕が注目したいのは、その時に立ち会わせていた当時のソ連の国民です。人々がソビエト連邦という国に対する帰属意識を強く持っていたかどうかは定かではないですが、生まれ育った祖国が、かつては世界を席巻した超大国から徐々に衰退の一途をたどっていき、しまいには国が瓦解していくのを目の当たりにしたソビエトの国民はいったい何を思ったのでしょうか。当時の写真や動画に映る人々は祖国の衰退に対して逆らおうと奮闘していたけれど、無力にもそれは成功しませんでした。彼らがソ連崩壊の時に受けたショックというのはいったいどれほどのものだったのでしょうか。壮大な曲調でもあるけれど、どこか寂しげな感じもするその国歌によって、僕はこういった無力感に思いを馳せ、同情せざるを得ませんでした。そして、とあることで思い悩み、よりどころを求めた僕は、最近かつ最大の「共同体」の崩壊を自分のにおけるものと重ね、親近感を伴って想起したのでした。なんだか、歴史が、僕なんかよりもはるかに大きいショックを受けただろうソビエト連邦の国民一人一人が、僕の側に立って、応援し、励ましてくれているようなそのような妄念を感じてしまうのです。
かつてのソビエト連邦が、望ましい共同体であったかどうかは疑わしいですが、それでも、その応援してくれているような感覚は僕の辛い気持ちをいつも癒してくれました。それ以来ソ連国歌は基本の原動力として、僕に大きな影響を与えています。しかし、自分の考えがコミュニズムというよりむしろコミュニタリアニズムのほうに近そうですし、決してコミュニズムを称賛しているわけではないことは了承していただきたいです。
個々の「情熱」を咀嚼する
物理部にいると、様々な人からこういった「情熱」を感じ取ることができます(もちろんですが、ソ連国歌ではございません)。部員のそれぞれが、僕に、彼らの趣味だったり、興味のある分野の話や、取り組んでいることについての話をしてくれるのですが、彼らが話しているときのその表情や口調、それから身振り手振りなどから、意図せずとも「情熱」がにじみ出てくるんですよね。そして、その「情熱」の形というのは十人十色で、それぞれの人の持っている性格、視点、価値観、奥深さ等等を本当によく表現していることでしょう。また、同じ人によっても、時と場合によってその「情熱」がポジティブになったりネガティブになったりすることもありますし、そういう点でも、バラエティーに富んでいるといえるでしょう。自分にとってそれらは未知なものばかりであるので、それらを見たり、触ったり、聴いたりしてようやくそのわずかを味わうに至ります。ですが、そのわずかな経験を通して、「その人」の人となりをより深く知ることになるでしょうし、あるいは、それによって自分が新しく触発されるかもしれません。他人の「情熱」や、その「情熱」から経験した事柄のような、未知との遭遇の可能性にありふれている場というのが、この物理部であり、もっと広く言えばこの浅野の文化祭なんじゃないかなと個人的には思っております。
こんなにも時間のかかる「作品」、しかも、作らなくても生活に支障をきたさないだろう「作品」を莫大な労力をかけてわざわざ作り上げるというある種の狂気を持つためには、間違いなく、とてつもなく大きい原動力が必要でしょう。そして、その原動力がどこから来ているのか、僕たちは、それらの「作品」の制作者でありますから、もちろんその「作品」に対する説明や思い入れを、展示に来てもらった皆さんに紹介すると思います。が、その説明を受けただけで終わらせてほしくないのです。なぜかというと、僕たちの、「作品」に対する説明というのはあくまでも僕たち自身の一元的な見方による説明でしかないからです。その説明を受けるだけでは、必然的にその「作品」のもつ可能性は限定されてしまうでしょう。僕ら作品制作者の「情熱」と、「鑑賞者」の感じたものの交わる点、その二つを折衷したところにこそ、無限の可能性が秘められているのではないでしょうか。作る側→見る側という一方的な主体客体の関係を超えて、「鑑賞者」自らが主体意識を持って「作品」と触れ合い、その界面で二つが融合することによって、唯一無二性が生じるのではないでしょうか。そしてそれは文字通りかけがえのないものとなるのではないでしょうか。ぜひとも、この文化祭で何かしらそういうものを得てもらえたらなあと願うばかりです。
現実
僕はいまこうやって自分の文化祭の理想像を語らせてもらっているわけなんですけども、なかなか簡単にそういう形にできるわけでもありません。すなわち、自由に、自分の興味のあることをして、事が上手く運ぶわけではないということです。その大きな理由の一つは、文化祭での集客効果という観点から、そちらへ方向転換しづらいということにあります。やはり、文化祭において、部員たちの自作ゲームは子どもたちにとても人気で、PC班の集客に大きな貢献をしてきているのはこれまでの4年間にこの目で見てきました。かつて、ライフゲームを展示していたり、(今年もだと思いますが、)壁新聞も一応展示していたりするのですが、自作ゲームを展示している机のほうより人が集中するということなどほとんどなく、もしもゲームの展示がなくなったらPC班の展示はおそらく閑静とした場になってしまうことでしょう。たとえその物寂しさに耐えられたとしても、やがてお金の面で、持ちこたえられなくなるはずです。
物理部は他の部活と同様に、部費という形で学校から援助を受けて成り立っており、あくまで浅野の経済力ありきでの物理部なのです。そしてその部費は、学校に対する貢献や、部活の実績等の要素で上下する可能性が高いのです(実際に部費を大幅に減らされたことはないので完全なる真実とは言い難いです)。部員からの部費を一切徴収していない上、部員数が多く、このお金が少ないと、パソコンが足りなくなったり、電工の備品を購入できなかったり、いろいろと不自由が生まれてしまいます。ゆえに、文化祭で、AsanoTheBestなるものでなるべく上位に入り学校への貢献を可視化し、なるべく多くの部費をいただかないと物理部そのものが崩壊しかねません。ですが、自作ゲームの力を借りずに文化祭での人気を保ち続けるのは考えづらいですし、部費が少ない状態で部活動を続けていくということも困難でしょう。すなわち、この成果主義的なシステムから逃れる方法は今の状態では到底考えられないのが現実だということです。
ここまで言っておいて何も手だてがないのか、とお思いになるかもしれませんが、まあ、実際現時点で生徒にできることはほとんどないでしょう。このような場で、あまり理想をかましすぎても結局空回りして終わりという、歴史の二の舞三の舞を演じてまうだけなので、ここはある程度譲歩するのが好手と言えるでしょう。しかし、完全に理想を諦めてはいけません。理想と現実の狭間で、理想を捨てずに、現実に抗い続け、止揚した先にある自由の可能性を信じて奮闘するのです。理想から出発した「情熱」を現実とうまく融け合わせ、このシステムの中で運用可能な形にしていくことこそが、最善の解決方法ではないでしょうか。
まとめ
時と場合によって、自身の心を揺さぶったものが受け入れられないことがあります。例えば、僕が先ほど例に挙げた「情熱」のことを他人に話したとき、はねつけられるということもまあ何回かありました。やはり現実は、自己の理解をすり抜け、自己の思い通りにならず、無限に連鎖する否定性を持っていると僕は考えます。ゆえに、「現実」というのは往々にして、「理想」そして「情熱」をも否定してくるものです。そこで僕たちはこのアンチテーゼとしての「現実」に屈するべきではないでしょう。自身のもつ「情熱」を、そしてそれが存在するという揺るぎない事実を強く根拠にもって、新たな「総合」を生み出していくべきではないでしょうか。おそらくその作業には少なからぬ苦痛や困難が立ちはだかっていると思います。ただ、その先には、自身と他人が融合した、ユニークなものが待っているはずです。ぜひそれを求めていただきたいですし、また、自分もそれを探求していきたいと思っております。きっと、歴史上で同じように奮闘してきた人々も寄り添ってくれていることでしょう。
おわりに+スペシャルサンクス
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。内容のほうはいかがでしたか。 物理部のことに多少触れながら、僕の個人的な考えをエッセイ風に書くのは僕にとってあまりにも難しすぎて、これを書きながら何度も、無謀な挑戦をしたもんだなぁ、と思いました。それぞれで、言いたいことが似通っている部分もあるはずなのですが、僕が思うに、なんだか趣旨が若干曖昧で、一貫性のない文章になってしまいました。ともあれ、物理部の文化祭展示に来ていただいて、かしこくもこの部誌をとっていただいた方々に、これを読んで何かご自身の中で少しでも変わったことがあれば、僕は非常に嬉しい限りです。
ちなみにこの部誌は「自分自身」を一番の対象読者として想定しながら書きました。上にも少々書きましたが、僕のソ連に対するこの「情熱」を渾沌としたものから少しでも秩序づけたくて書いたというのが大きいです。なので、内容が個人的すぎたり、わかりにくかったり(わざと濁している箇所もございますが)、論理的根拠に欠ける点があったと思いますがお許しください。
最後に、多くの時間を一緒に過ごした物理部員のみなさん、本当にありがとうございました。特に、同学年の方々には、特別に感謝し申し上げます。そして、これからもぜひよろしくお願いします。
参考文献
- Wikipedia-ソ連崩壊 https://ja.wikipedia.org/wiki/ソビエト連邦の崩壊 10月2日アクセス
- Wikipedia-エマニュエル・レヴィナス https://ja.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・レヴィナス 10月6日アクセス
- ソ連国旗降納の画像元 https://www.rferl.org/a/1830507.html 10月6日アクセス