2024年6月某日。既に東の空に高く昇る陽に照らされ、いつものように机に向かい、問題集とノートを開き、鉛筆を走らせる。解答にアンダーラインを引き、橙色のボールペンに持ち替え問題集と照らし合わせ、計算ミスを修正し終えたところで短針は9を指していた。ペンを置いて問題集とノートを閉じ、財布と定期券、スマホとイヤホンだけを鞄に入れ、家を出た。
家から私鉄で横浜駅へと向かい、JRのホームの改札を通り抜け、7,8番線のホームに上がった。向かう先は、秋葉原。
秋葉原に出かける確固とした目的は特にない。電子部品の購入でも、書籍やアニメグッズの購入でもない。毎日の受験勉強。その息抜きを兼ね、ただ秋葉原の町並みを久方ぶりに歩いてみたかった、というだけであった。
ホームに滑り込んできた、緑と橙の電車に乗り込んだ。ポケットからイヤホンを取り出し、単語帳の音声を再生する。聞いたことのない単語に出くわし、流れる英文が聞き取れないこともいまだに多い。結局内容は殆ど頭に入らず、それでも時間を有意義に使った気になりながら、徐々に秋葉原に近づく。
「秋葉原」という地名を聞いて多くの人が次に連想する言葉は、「オタク」であろう。アニオタ、漫画オタ、鉄オタ…。世の中には「オタク」と呼ばれる人々が存在する。アニメに没頭する部員や漫画を読み耽る部員、ゲームを通して互いに交流し合う部員、プログラミングや電子工作に興じる部員を擁する物理部も、オタク集団としての例外ではない、と考えている部員もいるかもしれない。ところで、そもそも「オタク」とはどういった人々を意味するのであろうか。
オタクの在り方やオタクに対する考え方は人それぞれであろう。私にはオタクを自称できる自信がなくオタクに対する明確な考え方は定まっていないが、例えば広辞苑には、
お-たく【御宅】
④(多く片仮名で書く。仲間内で相手を「御宅」と呼ぶところからの称)特定の分野・物事には異常なほど熱中するが、他への関心が薄く世間との付合いに疎い人。また広く、特定の趣味に過度にのめり込んでいる人。
とある。また、明鏡国語辞典を引くと、
お-たく【御宅】
④〔俗〕趣味的な世界にひたすら没頭する閉鎖的な人。
「アニメ[パソコン]―」
▶相手を「おたく」と呼ぶ傾向があるからという。
[表記]多く「オタク」と書く。
と書かれている。すべてのオタクが他人との関わりを犠牲に自分の趣味に没頭しているとは思えないが、少なくとも「特定の物事に熱中する人」として世間には認知されているようだ。では、なぜオタクたちは秋葉原に行くのであろうか。
電子工作オタクやパソコンオタクを例に挙げよう。そして、商品の購入のみならず、仕事やオタク仲間のオフ会など、彼らが秋葉原に行く理由はいくらでも挙げられうるが、私が秋葉原を訪れた経験から、商品の購入に焦点を当てることにする。
よく知られている通り、電気街を擁する秋葉原には、数多くの電子部品店やパソコン・周辺機器の販売店が立ち並ぶ。そのような商品の多くは通販からも手に入るが、店頭限定の商品や店頭特価の商品を買いに行ったり、わからないことを店員に訊ねたり、店頭に並ぶ豊富な品揃えを眺めに行ったりすることに、十分秋葉原に行く意味がある。これはアニメグッズや漫画が好きなオタクがそれらをわざわざ秋葉原に出向いて買いに行く理由としての説明にもなるのではないか。しかし、中には仕事でなくとも年に何十回、何百回と通うオタクの話を耳にすることもある。そこまで頻繁に行く意味はあるのだろうか。
そもそも、オタクの趣味に関わる店が数多くある秋葉原は、多くのオタクにとって居場所と感じられるだろう。上に挙げた目的から、何度か秋葉原に行けば、秋葉原にそういった認識を持つようになり、愛着が芽生え、自分の趣味に対して抱いているほどにまで膨らみうる。そして、最初は特定の店舗以外には無頓着であったとしても次第に興味を持ち足を踏み入れるようになって未知との出会いを求めるようになったり、建物のリニューアルやラッピングの張り替えなど、秋葉原の街並みの些細な変化さえも気にするようになったりして、秋葉原へ行く度に愛着が増幅する。そして、ちょっとした買い物の用事ができたり、店頭におけるセールやキャンペーンの情報をSNSで見たりする度にわざわざ秋葉原へ行こうとするようになり、もともとの自分の趣味以外にも興味を持つようになるかもしれない。最終的には、特に明確な目的がなくとも帰省するかのように秋葉原に通う。順番通りとは限らないが、このように訪れる頻度は高くなるのではなかろうか。
単語帳の音声のトラックを1つ飛ばし、10回くらい聞いたところで電車が東京駅の7番線に着いた。ホームに出て一度1階へ降り、3,4番線の京浜東北線・山手線ホームに出る階段を上がって山手線の待機列に並んだ。3分程待つと、4番線に山手線のE235系が入線し、乗り込んだ。車窓を見ると、オフィスビルの集まりが次第に繁華街に変わっていき、反対側を見ると、並走する新幹線が見える。秋葉原に通い始めた頃の、この情景を見たときに感じた、徐々に秋葉原が近づくことへの高揚感を今でも鮮明に覚えている。中央線と分かれ、そのまま秋葉原駅の高架ホームに電車が到着した。知らないゲームの広告が張り出された階段を早足で下る。
腕時計を見ると、時刻は10時を少し過ぎている。しかし、多くの電子部品店やアニメグッズショップの開店時刻は11時。秋葉原の朝は遅い。秋葉原駅には電気街改札、中央改札、道路を隔てて昭和通り改札がある。いつもは電気街改札を通るが、既に開店しているヨドバシカメラマルチメディアAkibaへ向かうべく中央通り改札をくぐることにした。
サインに「YOSTAR改札」という表記が加えられた中央通り改札を出た先には、暫く見ないうちにオープンしていたYostar Official Shopがあり、40mの長さを誇るディスプレイにキャラクターやゲームのPVが映し出されているのが見える。
suicaをタッチし、交通費483円を払い、オタクの国・秋葉原への入場ゲートを通り抜けた。どのような景色が私を迎えてくれるのであろうか。
中央改札から外に出てすぐの場所にある、ヨドバシカメラマルチメディアAkibaに入った。日本全国に24店舗展開されていて、各店舗品揃えが豊富で売り場面積が大きいことが特長のヨドバシカメラだが、Akiba店はその中でも特に規模が大きく、秋葉原の中でも存在感が大きい。家の近くにもヨドバシカメラはあるが、ヨドバシAkibaは秋葉原に来たら必ず行く場所のひとつだ。
ヨドバシカメラに限らず、チェーン店であっても地域毎の店舗を巡るのは楽しい。すべての店舗にある程度の統一感はあれど、場所ごとに少しずつ在庫や陳列のされ方が異なり、その違いを見るだけでも訪れる甲斐を感じるからである。特にAkiba店は、広さ故に見ていても飽きることがない。
1階からエスカレーターで店舗を上がっていく。PC・周辺機器の売り場である2階では、商品を見る度に、それを買い家に置いたときの様子や、それを使っている自分を想像してしまう。4階のオーディオコーナーではいくつかヘッドホンを試聴し、6階では壁一面の工具に目を通した。
どの店を訪れても、家電量販店は特にそうだが、物欲が刺激される。しかし、持ち金が少ない上に、日々受験勉強で追われる中で、何か商品を買ったところで使う機会が想像できない。目にした物に手を伸ばしても同時に自制心が働き、結局何も購入することはなかった。
1時間ほど店内を歩き回ったところでヨドバシAkibaを後にし、ホテルメッツプレミア秋葉原の下の通路を抜けて、電気街改札を出た先であるアトレ秋葉原1に来た。窓や壁面にはキャラクターのラッピングが施されており、半月に一度貼り変わる。館内ではそのキャラクター達によるナレーションが流れている。電気街南口を出た場所にはキャラクターを描いた大きな絵があり、多くの人がその撮影に勤しんでいた。私も義務感のようなものに駆られスマホをポケットから取り出し、周りの歩行者に配慮しつつカメラを壁に向けるが、人混みの多さ故にうまく映りそうになく、諦めた。尤も、私はゲームやアニメの知識がほとんどなく、壁面のキャラクターの事も全く分からない。今になって考えてみれば、なぜ秋葉原に来る度に知らないものにカメラを向けるのか、目まぐるしく変わりゆく秋葉原を記録することへの欲望以上のことは分からない。
アトレ秋葉原1の南側に沿って歩く。突き当りでは、オノデンとラジオ会館の巨大ビジョンから流れる音楽とメイドカフェのテーマソングが響き渡る。右に曲がり、中央通りに出た。今こそ秋葉原の雰囲気にはもう慣れているが、通い始めた頃は、秋葉原が他のどの場所にもない異様さを醸し出しているように思えたのを鮮明に覚えている。
最初に秋葉原に来たのは、3年前の文化祭直前、完成間近であった作品のICを過電圧で飛ばし、急遽新しいものを買いに行ったときであった。
もう時間がないことへの焦りと共に電気街南口を出ると、様々な髪色をしたキャラクターの絵が建物を彩り、至るところで何かのアニソンやキャラソンが鳴り響き、白や黒、桃色のメイド服を身に纏った人たちが観光客に声を掛け、色とりどりに輝くLEDや精巧な工具、見たことのない電子機器たちを店頭に並べる店が軒を連ねていた。私の視線は常に泳いでいた。滞在時間は1時間程であったが、その日、この世のものとは思えないような秋葉原の独特な雰囲気が頭から離れることはなかった。
この雰囲気は誰の手で作られたのだろう。
オタクが何らかの形で携わり、自分たち好みの街並みとして構成してきたのは間違いない。オタクが秋葉原が電気街として発展し始めたのは戦後間もない頃でこのときはまだ「オタク」という概念も言葉も無かったが、秋葉原電気街を造り上げた人々の中には心の底で「オタク」の精神を持つ人も存在して、時と共に「オタク」達が受け継いでいき、このオタクの国の独特な街並みと雰囲気を作り上げているのかもしれない。
横断歩道を渡り、老舗の電子部品ショッピングモール、東京ラジオデパートの前を通り過ぎ、中国語の童謡が流れるあきばお〜弐号店の店頭に並ぶ安売りの電子機器たちを見てから、中央通りに比べれば少し落ち着いている秋葉原の裏路地を少し歩いた先にある千石電商に入り、自作と思われるスピーカーから流れるラジオ番組を耳にしながら地下1階から3階に並ぶ工具や線材、教育キットを眺めた。千石電商を出て、電子工作界隈で名が広く知られた電子部品販売店、秋月電子通商に入り、まず2階へ向かった。2階がオープンしたのは1年3ヶ月前だが、2階がオープンする前の店舗の様子も覚えているし、そこに通い始めて間もない頃の私が考えていたことも忘れていない。
当時は電子工作を始めて2年ほど経っており、まだ簡単な回路を組み立てるのにさえ苦労することがありながらも、少しずつ、電子工作を通して自分の思い描いたものをそのまま形にすることの楽しさを見出し始めていた。暇があれば秋月電子の通販サイトを眺め、物理部における作品制作のヒントを得たり、名前を知らない電子部品に出くわしてはその部品について調べたりしていた。秋葉原の電子部品店、特にこの秋月電子はそんな私にとっての僅か二、三十数畳の売場の中に無限の未知が広がる、夢のような場所と捉え始めるようになった。時が経ち、高二の文化祭が終わり受験生になるまで、月に1,2回電子部品店を訪れ電子部品や工具、配線材を買い、何か作品を作り上げる度に電子工作、そして電子部品店への思いを倍増させることを繰り返していた。
最後に物理部で作品を出してから9ヶ月。電子工作に興じていた日々を思い返しながら、閑散とした2階の売場で、売られている工具や測定機に目を向ける。2階がオープンする前は、オシロスコープなどの大きく値が張る測定器はパーツキャビネットの上に1台か2台置かれていただけであったが、2階のオープン後はいくつも測定機売り場に置かれている。数年かけて家に電子工作ができる環境を少しずつ構築してきたが、まだ何か工具や測定機を見る度に欲望が抑えられなくなる。しかしそれらの値段は月々の小遣いでは手が届かず、受験後の楽しみとして仕方なく購入を諦めている。ここで、測定機コーナーの反対側を向くと、「¥100」の文字とともに、倉庫の長期保存品として10個入りのフィルムコンデンサとロッカースイッチが特価で売られていたのが目に留まった。思わず1袋ずつ手に取る。180円のDIP-IC引抜冶具もついでに1つ取り、他のコンテナの特価商品やアンプキットへの誘惑を抑え、レジに向かった。支払いを済ませ、購入品が入った小さな茶色の紙袋とレシートを受け取り、鞄に入れて1階店舗まで降りた。
1階では抵抗やコンデンサ、LED、トランジスタやICなど、多くの人が電子部品と聞いて思い浮かべるであろうものが揃っている。2階に比べると客が多く、レジの音がせわしなく鳴り響いていた。
秋葉原はオタクにとっての居場所だろうと述べたが、もしそうであるならば「オタク」には「電子工作オタク」も含まれるだろう。その中でも秋月電子通商を居場所と考える電子工作オタクが多いと思われる。この店を利用する年齢層は幅広く、それぞれが自分の手でこれから生み出すものに思いを巡らせていることだろう。
緑色のカゴを取り、彼らに混じって私もキャビネットを眺める。分からない電子部品に出会うことも多いが、何か電子部品を見かけたら、その部品が基板に実装されている様子を思い浮かべてしまう。基板の大きさはいくらにするのか。Vccは何Vにするのか。パスコンは容量が何μFのものをいくつ使うのか。どのコネクタを使うのか。基板間の線材の太さは何sqにするのか。そのようなことを考える。熟練の電子工作オタクなら部品を目にしただけでデータシートも見ずに瞬時に回路図が隅々まで頭に浮かぶであろう。それに比べれば私の考えていることは初歩的だ。それでも、頭に思い浮かぶものの存在に気づく度、自分の電子工作への思いを再確認するのである。
そもそもこの日秋月電子に来た目的は、9ヶ月前に制作した作品に小さな改変を加えるのに必要な電子部品を買うことだ。そのためにもともと買うつもりであった、D基板と12Vの三端子レギュレーターを1つずつををカゴに入れた。ACアダプタ1つと、10個100円で安売りされていた、漆黒の外装と金色の印刷が光る、Panasonic製560μFアルミ電解コンデンサもカゴに入れ、レジに持っていく。小計は千数百円。かつては物理部の部費で何万円も使い、その度に長いレシートを持ち帰ったものだが、それに比べれば少ない金額だ。それでも、何かしらの収穫があると、お金を使ったことに対する僅かなの後ろめたさはあるものの、それに勝る物欲が満たされる。
2階での会計と同じように、電子部品が茶色い袋に入ったのを受け取り鞄に入れ、レシートを財布に入れて秋月電子を出た。
そういえば、秋葉原が電子部品店の数を減らしていることを嘆く人を時折見かける。私が秋葉原に通う数年の間にも、ラジオデパート内を中心とした電子部品店が何店舗かシャッターをおろした。ネジと圧着端子の専門店として知られていた西川電子部品も廃業し千石電商と合併して、千石電商がラジオデパート店と2号店を閉めて本店と旧西川電子の2店舗での営業に切り替えたのは記憶に新しい。この流れにアニメグッズショップの開店、アニオタの増加も伴って、電子工作オタクが秋葉原において存在感を減らしていると考えざるを得ない。しかしそれが日本の電子工作の衰退を意味するものではないと、私は思う。
インターネットの台頭で、秋月電子を含めた各電子部品店が通販を始め、電子部品を検索するだけでデータシートが見られるようになった。また、様々な層に向けて技術書も次々と出版されており、個人の電子工作のブログや制作記は無数に存在する。このように電子工作の環境はむしろ改善しているように思える。そのような状況で、電子工作オタクが数を大きく減らしている筈がない。むしろ、日本の電子工作オタクを取り巻く未来に幾何か光が見える気がする。
技術力は乏しいながらも、自分のものづくりへの思いは誰にも負けていない。そんな幻想を抱いていた頃が懐かしい。私が今はんだごてを握ることはほとんど無い。しかし、受験生になっても、頻度は落ちたが勉強の息抜きとして数ヶ月に一度秋葉原を訪れ、その度に秋月電子で売られている商品を眺めている。今でも技術書を開いてみれば意味の分からない文や式、名前の分からない電子部品や用語に出くわすことは多く、その度に、自分の技術力の未熟さに気付かされる。そんな自分が電子工作オタクだと断言できる自信は無い。それでも、勉強の合間に自室の電子部品のキャビネットを引き出して電子部品を手に取って壁の収納や工具箱の中の工具を握って技術書をざっと見通し、勉強以外のこととなると、電子部品や工具や測定機のこと、過去に作った作品のことや大学受験後に学びたいことややってみたい研究のことばかり考えていて、その度に電子工作は今もなお、生活の一部となっていることに気付かされる。もし受験期間中に電子工作への興味を失うということがなければ、間違いなく私がいち電子工作オタクとして再び秋葉原に通い、電子工作や研究に励むときが来るだろう。
裏路地から再び中央通りに出ると、既に歩行者天国が始まっていた。人々が中央通りを埋め尽くしており、その雰囲気にレンズを向ける人もいた。その通りを北に少し歩き、イヤホン・ヘッドホンの専門店、e☆イヤホン秋葉原店のビルに入った。
秋葉原に通い始めた頃からオーディオにはある程度興味があったが、半年近く迷った後にワイヤレスイヤホンを購入したのと、Bluetoothスピーカーを制作し2023年の文化祭で出展したのが重なり、オーディオ機器、特にポータブルオーディオ機器(携帯型のオーディオ機器)にいっそう興味を持つようになった。
何か音響機器を買おうとしているわけではない。ここに来た目的は、様々な音響機器の試聴をすることだ。というのも、e☆イヤホンでは、店頭に並べられているほぼ全ての音響機器を視聴することができるからである。製品の購入でなくとも、試聴が目的で訪れる人は多いようだ。
店舗の1階ではワイヤレスイヤホンやワイヤレスヘッドホンが並べられている。ワイヤレス機器はここ数年で需要が大きく増加しており、多くの人が試聴したり、店員さんと話したりしていた。早速、Amazon Musicを起動し、持っているスマホと1台ペアリングした。MEMSドライバーと、ハイレゾコーデックであるLDACとaptX Adaptive両搭載で話題になった、Noble Audio FALCON MAXだ。取り出して装着したが、サイズが大きく、右耳の装着センサーが反応せず、ノイズキャンセリングが働かない。仕方なくペアリングを切った。
壁側に展示されていたワイヤレスヘッドホン、Sennheiser MOMENTUM 4 WirelessやBOSE QuietComfort Ultra Headphonesなどを試聴し、ワイヤレスイヤホンも試聴しようとしたが、あまりにも人が多く、気になっているメーカーの機器を手に取れそうにない。結局、ワイヤレスイヤホンの試聴は諦め、上の階に上がることにした。
階が上がるほど、玄人向けの機器が増えるように思える。2階には、イヤーピースとエントリークラスの有線イヤホンとワイヤレスイヤホンが並ぶ。まず、手持ちのワイヤレスイヤホンのイヤーピースを付け替えて音楽を流した。イヤーピースごとに、遮音性や素材による音の傾向の違いや付け心地の違いが大きく異なり、その違いを楽しんでいた。次に、イヤーピース売り場の奥の有線イヤホン売り場にて、店頭展示されていた、Fiio KA2 Lightningとqdc SUPERIOR、Maestroaudio MAPro1000のバランス接続を試した。先入観もあるからであろうが、多くのレビューのとおり、前者は各帯域の分離感が程よく、後者は、イヤホンであることを疑うほど音場の広さが感じられた。いずれも、私のような素人であっても解像度の高さが感じられ、ワイヤレス機器や純正Lightning DACでは聞こえなかった細かい音が聞こえ、その度、脳から全身に刺激が走る。さらに数機試聴したのち、階段を上がった。
上の階では、さらなる未知の世界が待ち受けている。3階では有線ヘッドホンやDAPやヘッドホンアンプ、4階ではさらに高級な有線イヤホンやケーブルやカスタムIEMが売られており、いずれも玄人をターゲットにしているように思え、何十万円にも上る機器が平然と並んでいる。手にスマホだけではなく、照明を反射し特有の輝きを放つ金属シャーシの高級DAPや、手に乗るサイズで数万円もするUSB DACを持つ人の割合も増えた。それに比べ、私はiPhoneと16bit 48kHzのLightning DAC以外持っていないが、学生なので仕方がない。
ポータブルオーディオについて考える度に、そして店でオーディオ機器を見る度に、オタクと金銭の関係についても考えさせられる。私にとって最も顕著な例が、金銭とポータブルオーディオオタクとの関係であるように思えるからだ。
3階や4階に展示されている音響機器には、高音質・静寂を追求すべく、様々な技術が盛り込まれている。例えば、ヘッドホンやイヤホンには各社独自の新素材が用いられたドライバーが搭載され、DAPやヘッドホンアンプには、アナログ部とデジタル部を隔離する等の複雑な回路構成、コスパより品質を優先したいくつもの電子部品が採用され、線材には取り回しを向上し損失やノイズを極限まで抑えるべく、純度の高い金属素材が惜しみなく使われ、複雑なシールド構成が成されている。それゆえ、値段は数万円、数十万円にのぼり、百万円を超える機種もある。学生どころか社会人でさえ手を出すのを躊躇う価格帯だ。
3階では何機か数万円の有線ヘッドホンを試聴した。視聴環境が貧弱で、店内BGMの影響もあったが、特に開放型は、値段に2、3倍の差があっても音の違いを感じ取ることはほとんどできなかった。素人や音へのこだわりが少ない人であれば、数万円で構築した環境でも満足できるだろう。それでも、各メーカーが数十万円、数百万円の音響機器を設計製造し、それらが売れているという事実は、良い音への執着の強いポータブルオーディオオタクの存在を示しているのだと思う。
所謂「オタ活」の趣旨はコンテンツの消費であり、大抵の場合金銭の消費が伴うのだから、音への理想が高いほど音響機器への投資が増えるように、多くのオタクはある事柄への愛着が強いほどそれに対する金銭の消費が増えると言える。ありきたりな結論に行き着いてしまったが、この事はポータブルオーディオオタクに限った話ではない。電子工作の環境を整える過程で、1000円程度のニクロムはんだごて十分なところを、数万円の温調はんだごてを購入する電子工作オタク、ある作品に没頭し、ブルーレイディスクやフィギュア等の高価なグッズを大人買いするアニメオタクなど、いくつも例は挙がる。
さて、店舗ビルの3階の有線ヘッドホン売り場よりもさらに奥では、ヘッドホンアンプが展示されている。据え置き型にはあまり興味がなく、気になっていたUSB-DACを何機か試すことにした。スマホに挿し手持ちのイヤホンで聴いたが、音質はいずれの機種も16bit 48kHzのLightning DACを大きく凌駕していた。音の傾向の細かな違いは分からないので何機か購入して家の静かな環境でじっくり聴き比べたい、と思ううちに、バランス接続対応のDAPが少なくとも1機と、各メーカーのフラッグシップのワイヤレスイヤホンが3機、異なる機種の有線イヤホン、有線ヘッドホンがそれぞれ少なくとも3機ずつ、4.4mmのバランス接続でリケーブルされた状態で欲しい、などと理想のポータブルオーディオ環境への想像を膨らませていたが、私のような学生にはまず実現不可能だ。
このように、人間、とりわけ我々学生には金銭的制約があり、「オタ活」をするにあたり常に財布を睨み続けなければならない。
自分の需要に対してお金が無いことをもどかしく思うことがあるかもしれないが、予算が限られているなりの楽しみ方ができるだろう。お金が少なく、買い物の一つ一つに重みがある分、例えば何かポータブルオーディオの製品を購入する際、コスパの高い製品を求めて、各社のカタログや通販を見てスペックと値段を照らし合わせたり、店員にお勧めの機種を訊いたり、試聴して音が自分の好みにあった機種を選び抜いたりする中に楽しさを見出すことができると思う。
お金を得た自分が高い音響機器を購入している様を思い描きつつ、物欲を抑えながら4階を1周見て回り、5階で中古品の値段と在庫を確認した。結局何も買わず1階まで降りて、e☆イヤホンを後にした。
中央通りを南に下り、ねぎしで少し遅い昼食を済ませ、通販を飛び回るかのように、マルツ秋葉原本店、パソコン工房秋葉原本店の陳列を眺めた。
もう一度秋葉原中央通りに出て、西側から東側に横断する。腕時計を見ると、午後4時を過ぎたところであった。日没が刻一刻と迫っている。
今このときも戦う相手は机に向かっている。私は今秋葉原。受験勉強の息抜きとはいえ、なんとおこがましい話だろう。受験は己と時間との戦い。家では大量の問題集が帰りを待っているが、後ろめたさに名残惜しさが勝り、足が秋葉原駅を向こうとしない。
足に任せて漫ろに歩く。ビックカメラAKIBAの白と赤の建物が目に留まった。店舗に入り、エスカレーターを上ってはその階に並ぶ電気製品に目を通し、パンフレットを何冊か取り鞄に押し込んだ。店を出ると時刻は16時半。何かに引き寄せられるかの如く東向きに歩き、線路を下をくぐり、数時間前に訪れた、ヨドバシAkibaに沿って南へ進み、首都高速1号沿いの書店に入店した。
その書店とは、秋葉原最大級の書店、書泉ブックタワー。売り場は1階から9階まで及び、特に技術書、コミック、ライトノベル、プロレスや乗物に関する書籍の品揃えが豊富である。まさに、そういったジャンルのオタクをターゲットにしている。
入口の自動ドアをくぐった目の前にあるエスカレーターを上り、3階に来た。この階では、コンピューターや理工学、資格に関する書籍が揃っている。歩き疲れて足が痛むのに耐えながら、まずはCQ出版の書籍や雑誌を数冊ざっと目を通した。技術が大きな変革を遂げつつあるこの時代、プログラミングが絡む書籍も増えている。しかし、電子工作もプログラミングも未熟な私には、未だに内容が理解できないことも多い。ページを覆うのは聞いたことのない用語や仕様の分からないICの型番、複雑な回路図。この書籍の内容を全て理解し、自分の手で回路を構築することができたらどれほど喜ばしいだろうか。
続いて5階に上がり、鉄道や自動車、航空に関連の書籍、およびそのグッズを眺めた。5階では、本物の鉄道の部品が売られていることもある。その中には学生でも手が届くものもあり、1000円ほどの価格でつり革が売られていた時には、乗物好きの私は、吊るすスペースが家に無いにもかかわらず、思わず1つ買ってしまいそうになった。駅名標や航空会社のロゴの描かれた垂直尾翼のキーホルダー、鉄道車両や航空機が描かれた筆記用具なども売られている。安い値段ではない。普段は理性が働き、これらを見ても金の無駄遣いとしか思わないが、オタクの国の中を歩き、理性が剥がれそうになると、それらを購入する人々の心情を少しだけ理解してしまう。
また3階まで戻った。CQ出版以外の技術書や、電気工事士などの資格取得の本も手に取ってみる。こちらも、内容がよくわからないものばかりだ。ちょうど1年前、文化祭が終わり物理部の活動の最前線から身を引くまで、書店を訪れて本を買っては、その本が帯びる未知の世界をこれから知ることができることに胸を躍らせたものだ。
受験勉強に追われる今、私が見るべきは教科書と問題集だけであり、技術書を熟読する時間など無い。受験生は、趣味に没頭するオタクとは境遇が対照的であるように思えるだろう。しかし、秋葉原で、未知の世界を閉じ込めている数多くの本に囲まれた空間の内側を歩き回るうちに、なんとなく、オタクと受験生の共通点を見出した気がした。オタクの国の内側にいた日にはオタクに対する客観的な視点は無かったが、この文章を書き始め、オタクの在り方と向き合う中で、少しづつ分かり始めた気がするのだ。
強引かもしれないが、机に向かい教養―受験で戦うのに必要な知識―を身につけている受験生も、自分の趣味に耽るオタクも、自分の中に何かを取り入れるという行為に、没頭している、ということである。
オタクの趣味は、そうでない人間にとって重要であるとは限らない。コンデンサの誘電体ごとの容量特性や周波数特性の違いを知らなくても、アニメや漫画の登場人物を知らなくても、生活に支障はない。高等学校で学び、大学を受験するうえで必要な知識は、世の中の理解、そして、大学における学習の基礎などと言う点で確かに大切な教養であるが、それら全てを人生において大いに活かすことになるとは思わない。それでも、本などで自分の趣味に関する事柄を吸収するオタクにように、大学入試という、教養の定着度と与えられた問題に対する処理能力を競うゲームで栄冠を手にするために、時間をかけてその教養を身に着けていることに、受験生は没頭していると言えると思う。
勉強が好きな人よりも嫌いな人の方が多いであろう。勉強をする理由も、親や先生に言われたから仕方なくやるとか、早く受験地獄を脱したいからとか、そういった理由が考えられうる。これらは、単に好きだからという、オタクが趣味に耽る理由ほど純粋なものではない。そもそも没頭している状態とは違うように見えるかもしれない。しかし、やらない言い訳をして机に向かわないなら別の話だが、何か理由があり、それがどんな理由であれ、そのためにある程度時間をかけているというのであれば、それもまた、没頭している状態と言えよう。
教科にもよるが、勉強は、概して、楽しい。オタクに対する考え方を自分なりにまとめた上で、このアプローチで受験勉強に臨めば、これからも、少なくとも勉強を苦に感じることはないように思える。
さて、秋葉原にいた時に時間軸を戻そう。時刻は17時10分。そろそろ秋葉原を出なくてはならない時間だ。エスカレーターを下り書泉ブックタワーを出ると、空の色は少し暗くなっていた。秋葉原駅前南通りを秋葉原駅に向かって早足で歩く。しかし、やはりまだ秋葉原駅の改札をくぐる気にはならない。ブックオフ秋葉原駅前店が目に留まり、思わず店内に入っていった。どうせ何か本を買っても読むのは受験後になるが、もしかすると何か面白そうな技術書が安売りされているかもしれないと思い、3階の売り場をざっと見通したが、何も買わずに店を出た。次に、無印良品は横浜にもあるが、無印良品アキバ・トリム店に入り、ちょっとした買い物を済ませた。
腕時計の長針が6を指した。Yahoo!乗換案内によると、この時間に秋葉原駅を出ると家に到着する時刻は19時頃。これ以上の寄り道はできないと判断し、時間の流れに屈して、suicaを取り出し、Yostar Official Shopのディスプレイに映し出されるキャラクター達に見送られながら、オタクの国の退場ゲートを通った。まもなく私は神田川を隔てて南側の現実世界に引き戻される。次に秋葉原の地を踏むことができるのは、数ヶ月先になるだろう。
物理部や電子工作は、私に今までに経験したことのない情熱をもたらしてくれた。同じように秋葉原も、私に情熱を与えた場所だ。秋葉原を訪れた回数は30回を超えるが、その一つ一つがかけがえのない時間であったのかもしれない。必ずまた、この地を訪れることを心に誓い、3,4番線ホームに向けて駅構内を歩いた。鞄の中ではロッカースイッチとフィルムコンデンサが音を立てている。エスカレーターでホームへ上り、最後にヨドバシカメラマルチメディアAkibaを眼に焼き付けた。
秋葉原の地に別れを告げ、3番線に現れた山手線の車両に乗り込んだ。
{width=100%} 2023年9月頃撮影